金子みすゞ講座最終回



ここ名古屋でも綺麗に桜🌸が咲いています!






日曜日は金子みすゞ講座最終回でした。


1ヶ月ぶりの講座です。


1月のEテレで放送された100分de名著で、

松本先生の金子みすゞ特集(130ページ)のテキストは好評を受け、来年3月に更に詩の解説など詳しく載せたものが本となって発売されるそうです。



100年を超えて歌い継がれてきた童謡の原点は、

初めは児童向けの可愛らしい文芸誌として

掲載されて流行しました。


時代とともに童謡詩は文芸としては衰退していきますが、レコード、ラジオ放送により歌として

広まって行きます。



私の両親たちはこういう雑誌を見たり聞いたりして育ってきたのかなと想像したりしました。


今もなお、この頃の曲が歌われ続けられて

きている事は素晴らしいなとも思います。



金子みすゞの詩には「私と小鳥と鈴と」のように違いをよしと肯定する内容や

「蜂と神様」のように子どもにイマジネーションが膨らむような内容の物もあったり、

小さな生き物の視点から見ている可愛らしい詩が多いですが、どこか切なく感じられました。


先生の解説では「このみち」という詩は

前向きな希望に溢れる未来を描いた物もあるそうです。


"この道"と言えば、北原白秋の「この道」の曲

が有名だと思いますが、これは大正15年に

発表しているそうなのですが

みすゞはこれより前に「このみち」を書いているそうです。



   このみち

             金子みすゞ


このみちのさきには、

大きな森があろうよ。

ひとりぽっちの榎よ、

このみちをゆこうよ。


このみちのさきには、

大きな海があろうよ。

蓮池のかえろ(かえる)よ、

このみちをゆこうよ。

    ・

このみちのさきには、

なにかなにかあろうよ。

みんなでみんなで行こうよ、

このみちをゆこうよ。




北原白秋の「この道」は過去を振り返った

内容であるのに対し

みすゞの「このみち」は100年前の時代であっても現代的で、今の私たちにも「仲間と一緒に歩いて行こうよ!」とメッセージを送ってくれているような新しさを感じます。







時代が流れ、現代では金子みすゞの詩も曲になり

若い人達がアラペラや合唱曲で歌う姿を

講座の中で聞いていたら、

なんだか不思議な気持ちになりました。


昭和の時代ももっと生きていたら、謳歌できただろうになとも思います。




金子みすゞの自死については、

自分の仕事、家庭の問題、健康、また死生観

芥川龍之介の死(みすゞは愛読者)複数の要因が

重なっているそうです。


ご主人の(宮田敬一さん仮名)

とは離婚をされるわけですが、敬一さんは

後々、再婚後も金子みすゞの遺影を

アルバムに大切に収めており、ご家族に

「西条八十に認められる立派な詩人だった」と

話されているという事を松本先生から聞いていたら、なにか引っかかっていたものが取れた気がしました。






おしまいに


「星とたんぽぽ」の詩を載せたいと思います。


         

          金子みすゞ

青いお空の底ふかく、

海の小石のそのように、

夜がくるまで沈んでる、

昼のお星は眼にみえぬ。

    見えぬけれどもあるんだよ、

    見えぬものでもあるんだよ。


散ってすがれたたんぽぽの、

瓦のすきに、だァまって、

春のくるまでかくれてる、

つよいその根は眼にみえぬ。

    見えぬけれどもあるんだよ、

    見えぬものでもあるんだよ。



見えないものにこそ目を向ける重要性、

全てのものに寄り添う大切さ。

松本先生の言葉や金子みすゞの詩を聞いているうちに、私は胸が熱くなりました。









読んで下さりありがとうございます。