どこかな!松潤!の旅




3月26日にBSプレミアムで放送された

「どうする松本潤?徳川家康の大冒険」を

録画して見ました。


松本潤さんが、家康という人物像、人間性を探って各地を周って行くという内容です。




この番組のロケ地である、長篠・設楽原決戦場跡の近くに、息子が先月31日まで暮らしていました。


残りの荷物を取りに行くついでもあって

土曜日に、新城市までドライブがてら夫と3人で行ってきました。



名古屋から約1時間半。




新城インターを降りて、松潤も来たという

長篠・設楽原決戦場跡へ行ってきます!



歴史を学ぶ動機がとってもミーハーな私ですが

ご容赦ください🙇‍♀️








設楽原の見学には、歴史好きなおじ様たちが

3、4人程いらっしゃいました。


設楽原には陣地の一部が再現されています。


大量の鉄砲が導入され、戦国時代の戦い方を変えた戰としても知られています。





〜長篠・設楽原の戦い〜


 武田信玄(阿部寛)の跡を継いだ勝頼は

1575年(天正3年)5月、15000人の軍を率いて長篠城(徳川方の城)を取り囲む。

城主の家康の家臣、奥平貞昌は500人の城兵と共にこれを防ぎ、また鳥居強右衛門の決死の働きで持ち堪えた。


織田信長(岡田准一)と家康(松潤)(来年の大河ドラマの配役)連合軍は設楽原に進撃し、

蓮吾川に沿って馬防柵を築く。

当時最強と謳われた武田軍は織田、徳川の放つ火縄銃により敗れ、武田氏の勢力は衰退、織田氏の勢力は絶対的なものとなる

    (設楽原歴史資料館パンフレットより)


同盟を結んでいた織田信長に援軍を求めた家康、

両軍あわせて、38000人が長篠城(今は跡地)から

約2キロ西にある設楽原に陣取ります。



武田軍は蓮吾川の両側にある水田のぬかるみに足を取られ、また織田、徳川軍の馬房柵に行く手を阻まれます。


結果は織田、徳川軍の大勝利。

家康は信長の最前線に立ち、命懸けで家臣を救う義理堅い武将として知られることになるそうです。







10キロ以上ある甲冑を着る松潤。






「思った以上に動きやすい」と言っています。




そうでしょう♪そうでしょう♪💚❤️💙💛💜

普段コンサートでは

何枚も重たい衣装を着てダンスをするのですから!



馬防柵からレプリカの火縄銃を構える松潤。





松潤が立ったと思われる場所に私も

立ちます💜💜




山の麓から武田軍が

手前の織田、徳川軍に攻めてくる。


この武田軍の馬の看板、

設楽原歴史資料館に置いてありました。

番組が作って寄付したのか、資料館から借りてきたのか、私、気になります。







勉強終了。


☆☆☆☆☆♪☆☆☆☆♯☆☆☆☆♪☆☆☆☆♪☆☆☆☆



歴史資料館にある桜もとても綺麗でした。



お昼ご飯は旭屋さんというご飯屋さんへ行く。

私と主人は天ぷらとお刺身のランチ。

とても美味しくてご機嫌な3人。







ちょうど、お花見🌸の良いタイミングでした。

近くの桜淵公園と花桃の里へも行く。


しだれ花桃の里。




花びらにピンクや白が入り混じって咲く枝もあり

とても可愛いらしいです。





やっぱりソフトクリームが食べたくなる。





県内ですが、ちょっとした旅行気分が味わえました。






行きと帰りのパーキングエリア







長篠設楽原パーキングエリア(新東名)

上り方面は信玄の旗印で、下り方面は信長の旗印でした。




楽しいドライブでした。




読んで下さりありがとうございます🙇‍♀️